これは昭和10年代におきた水害だと思います。私が生れる前ですから、この水害に関しては記憶がないのは当然ですが。私が小学生のころ(昭和30年代)にも大きな水害があったことは記憶しています。
写真を見ると当時トイレも共用、水道(井戸)も共用の生活が当り前だったことを思い出します。昭和30年代でも同じような環境があったように記憶しています。
それにしても自然の力は想像を越え、昔も今も自然の力には勝てないということでしょう。

中町水害
これは昭和10年代におきた水害だと思います。私が生れる前ですから、この水害に関しては記憶がないのは当然ですが。私が小学生のころ(昭和30年代)にも大きな水害があったことは記憶しています。
写真を見ると当時トイレも共用、水道(井戸)も共用の生活が当り前だったことを思い出します。昭和30年代でも同じような環境があったように記憶しています。
それにしても自然の力は想像を越え、昔も今も自然の力には勝てないということでしょう。

中町水害
季節はずれの記事ですが、これも移行作業の中で故関 賢三氏の写真から見つけたものです。昭和10年から20年当時の盆おどりの風景だと思います。大きなやぐら、やぐらを取り囲む大勢の人々、この当時の炭鉱は悲惨な事故も多かったようで、仕事を離れて楽しむことには皆で参加したようです。

盆おどり1

盆おどり2
このサイトを開始してから既に5年、その間にたくさんの方々から応援をいただきました。数ヶ月前から前システムからの移行を始めて、昨夜大体の移行が終了し公開しました。移行作業の中で、現サイトにはまだ公開していない写真や、過去に掲載した記事・写真などを思い出し、それらをどうするのか考えていました。新しい記事にまとめなおすのは結構手間のかかる作業ですが、埋もれてしまうのはもったいないので、ゆっくりですが掲載していくことにしました。
昭和初期から中期(20年から30年代)ころは、炭鉱も活気があり、祭りやお盆、正月などいろいろな催しがありました。
私の子供の頃の記憶ですから思い出せないものも多くありますが、夏の花火大会は盛大でした。
本サイトの歴史的な写真の大半を提供くださった、故関 賢三氏の写真の中にその花火大会がありました。こんなに盛大だったのですね。
モノクロ写真が時代を語ってくれるような気がします。
写真提供 関 賢三 様
昭和中期の上砂川町に関連する写真です。本サイトに掲載の画像・文書・その他一切の転用、転載を禁じます。
ここに掲載する資料は、昭和63年発行の 「新上砂川町史」より引用しています。
本サイトに掲載の画像・文書・その他一切の転用、転載を禁じます。
豊かな自然につつまれた上砂川、そこには遠くふるさとを思い出させてくれる あたたかさと、くつろぎがあります。
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旧上砂川駅(悲別駅)
建物は移設されていますが、廃線当時の様子をそのまま保存しています。駅舎内には、「悲別駅」のロケが行われたときの記念写真なども展示されています。 |
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日本庭園
上砂川岳スキー場のそばにあります。秋には見事な紅葉が見られます。 |
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水源公園
パンケの湯からさらに奥へ入り2Kmほどで現地に到着します。 虹鱒の養殖や錦鯉も育てられています。 |
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パンケの湯
上砂川岳(御料山622m)の麓につくられたきれいな建物です。自然の中で入浴が楽しめる大浴場、サウナ・ジャグジー風呂などもあります。ご家族でどうぞ。 |
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上砂川炭鉱館
現在は休館中です。
この炭鉱館は、これまでの石炭を掘る技術や、人々の生活、町の移り変わりを 知っていただきたくたてられました。 |
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上砂川岳国際スキー場
スキー場は平成18年3月で休止しています。
上砂川岳(御料山622m)の自然の中につくられた総面積25haのゲレンデ、 起伏と変化に富んだコースは、初心者から上級者まで幅広く楽しめます。 |